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インドネシアより

2012年10月01日 14:49 | コメント/トラックバック (0)

ブアメラの国パプアは

本年3度目のパプア島パプア州の州都ジャヤプラに5泊してきました。
ジャカルタからライオン航空の直行便でジャヤプラのセンタニ空港まで5時間の旅。
夜11時発、翌朝6時前に到着。ジャカルタとパプアは2時間の時差があり、パプアは日本時間と同じです。
インドネシアは18,500の島々からなる世界一の島嶼国ですから、移動は空路を使用するのが一番便利。
運賃は定額ではなく、日々刻々と運賃が変わり直前の便だと2~3倍に値上がります。
今回のライオン航空の場合、出発2日前に予約したため片道500万ルピア(日本円約5万円)と通常の2.5倍。
水など一切のサービスなし、しかし満席。多くの方は早めに予約するので200万ルピア以下で購入しているでしょう。
東京-成田便のガルーダインドネシア航空の往復便が空港使用料を含めて8万円で会ったことを考えると、相当に高い。
いずれにしても、インドネシアの航空事情は日本に勝るっているようだ。

センタニ湖を眺めてセンタニ空港に美時着陸。センタニ空港の朝は到着便で大忙し。
手荷物受け取りに約1時間かかったが、如何にもインドネシアらしい。
センタニ空港は日本の資金援助によって大改装中だが、積載荷物移動にはまだ手が加えられていない。

 センタニ空港はセンタニ湖に面している

友人のノバ・モーリン氏

7月に日本を訪れてくれたノバ氏が出迎え、2か月ぶりの再会をハグで交わす。
直ちに、車でジャヤプラの郊外コタラジャにあるホテルへ。1泊、44万ルピア(朝食付き、税込)。
少々眠い。古き友人のジミー氏にて朝食を頂くが、矢張りコーヒーよりインドネシア最も有名なビンタン・ビールを早速買ってきていただき、飲むことに。
ビンタン・ビール、1缶はジャワ島では15万ルピアだが、ここでは25万ルピア。日本のビールより高い。
パプアでは水代わりにビールを飲むが、それほどトイレには行かなくてもよい。
汗で飛んでしまっているようだ。だから蚊が歓迎してくれ、直ちに刺されること多数。顔もやられた。

ジャヤプラ初日、建築士の友人宅で朝食
ジャヤプラの国立極楽鳥大学のTシャツを着用

一息ついて、ジャヤプラの郊外、ヒンズー寺院の近くのスカイラインと呼ばれる丘に向かう。
ここにノバ氏の土地があり、これを将来有効利用させていただくことに。
30mの津波が来ても大丈夫。よって、政府要人の会議用事務所もここにある。
スカイラインからのヨテファ湾とヨス・スダルソ湾、そしてそれを区切る砂嘴の眺めは素晴らしい。
ヨテファ湾の奥には前にお戦争の犠牲になった日本船が沈没したままに残され、赤茶色に錆びた姿は痛ましい。
日本政府は乗組員の遺体収容をしたのであろうか?

ヨテファ湾に沈没し一部船体を露出している日本船
写真右側

翌翌日、ホルテカン湾から奥に入ったパプア以外の人間の移民地域に赴き、ノバ氏の養殖場にて釣りを楽しむ。
フナあるいはティラピアに似た魚をつるが、この魚は海の魚に匹敵するほど上手い。
パプアのヒトというかインドネシア人全般に言えることだが、魚は油で揚げるか焼くかして食べる。
刺身や煮魚は先ずない。ごく限られた地域で燻製は造られる。
日干しによる保存食の習慣はなく、有ったとしても濃い塩漬けで中国人による製法と思われる。

 

炎天下での魚釣り

パプアのヤヤサン(日本の支援団体)については前回述べたが、彼らとの自然保護、健康保健、農業開発で連携し、協同支援体制を創りたいと願っている。
具体的には、ブアメラの生産供給体制の構築、栄養失調児童の救済、エイズ患者救済、植林や日本の農業産物の導入、日本兵遺骨の収集と慰霊などです。
将来、このような計画は徐々に奨めていきたい。

ヤヤサンの専門家ニコラアス氏と

ジャヤプラの西、太平洋沿岸部には前の戦争時には、多くの日本兵が展開し、またその多くが戦争の犠牲になっている。
遺骨収集の関係が基でパプア州政府と山形県は姉妹都市となっているのは、なかなか知られていない。
恐らく、収容されていないご遺体は相当数に上ると思われる。
友人が言うには、広大なマンベラモ大湿地帯にはいくつもの洞窟があり、日本兵の遺品が多く発見されていると。
それらの一つとしてサーベルを見せてくれた。
日本兵のものと彼等は主張したが、刀は薄く柔らかく真鍮製であり、柄の中に隠されていた遺品の文字は日本語ではなかった。
中国でもないし、韓国語でもない。誰の所持品で会ったのだろう。

 

日本兵のものと思われるサーベル

サーベルの柄から見つかった布製証明書

好奇心が湧いてくる。
次回はマンベラモ湿地帯、大平原に赴き、遅まきながら日本兵の遺残を調査する予定です。

9月18日、ジャヤプラからジャカルタへ移動しました。
飛行機便は手違いで別々になってしまった。
私はガルーダ・インドネシア航空でジャヤプラ-ジャカルタは380万ルピア、2か所におりたので3食付き。
スカルノ・ハッタ国際空港で合流し、3人の護衛付きでホテルへ。



友人のノバ氏も同行してくれ、彼の友人2名を紹介頂いた。
農業分野やインドネシア国内流通に若干の門戸が開け始めた気配。

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