カテゴリ: (株)エムケーラボラトリーズ >Dr. Nishigaki >ノニジュース >ブアメラ >備忘録 >西垣敏明
ボケは人生をすべて失う悲しい事象
呆けないうちに呟いておこう
日本にノニジュースをインドネシアから導入、紹介した張本人の西垣敏明です。
現在、(株)エムケーラボラトリーズで日々肉体労働からノニ研究、インドネシアの熱帯性の有用な健康素材を探し求めています。
ノニに出会ってから既に24年
人間いつ何が起きるか分かりませんし、徐々に女房の名前も時々忘れ、4人いる孫の名前も正確に言えない始末。
健忘症が始まっている様子。
ノニジュースを飲み、中鎖脂肪酸たっぷりのココナッツオイルは欠かさず5mL飲んでいますが、老いには勝てない。
まだ、タバコは毎日2箱、アルコールは毎日欠かさない。
50年以上の飲酒、喫煙人生は、後何年続けられるか不安になるから、余計に喫煙・飲酒が激しくなっている。
忘れないうちに呟くことにして、少しでも記録に残して置きたい。
だいたい、日記や手帳に記録することが嫌いなため(実際は記録能力がない)、どこまで正確に書けるやら。
ノニに出会う前のことを若干整理
平成元年(1989年)1月に信州大学より平成最初の学位審査に合格し、「医学博士」の学位を授与されました。
前年(1988年9月)に16年間勤めたキッセイ薬品を退社し、浪人中の昭和天皇崩御とその後の栄誉であり、私としてはその後の人生は「おまけ」としてとらえていました。
幸いなるか、財団法人食品薬品センター秦野研究所に拾われ、半年後にはJICA(日本国際協力機関)の短期専門家としてフィリピン保健省に派遣されました。
その後、JICAの長期派遣専門家としての訓練を国内で受け、JICAのプロジェクト「食品薬品検定プロジェクト」に約4年間専門家としてフィリピンに滞在しました。
フィリピンでは様々な動物などを使った食品・化粧品・医薬品の検定技術の教育を行いました。
アキノ政権転覆のク・デターにも直接遭遇したり、バギオの大地震、ピナツボ火山の爆発などに出会いました。
当時のフィリピンは政治的にも自然環境の変化など、激動の時代であったように思われ、それらを直接経験できたことは私にとっては幸運でした。
技術移転で特記すべきは、フィリピン政府の要請でカラギナンの安全性試験を技術移転の一環として行ったことです。
昼間の停電が頻発し、2名のカウンターパートと一緒に夜中にオートアナライザーを動かして、血液検査を行ったものです。
本成績は、WHO/FAOや米国FDAに提出され、フィリピン産カラギナンの輸出が継続可能になり、フィリピン政府ならびにカラギナン業界からは大いに感謝されました。
フィリピンにとっては、年間何十億ドルもの輸出産品であったから、JICAプロジェクトは大成功と言えよう。
初めての外国生活
1989年、JICA長期専門家としてフィリピンに赴任して直ぐにクーデタに遭遇し、
フィリピン人になったつもりでキリスト教に基づく洗礼式や結婚式、保健省の定例の国家斉唱にも参加することができた。
1993年6月の皇太子殿下のご成婚の様子は、フィリピンで見たように記憶している。
1993年7月にプロジェクトが終了し帰国。
これからがまた、破天荒な生活に。
以後ご期待
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M&Kラボラトリーズ
代表取締役 西垣 敏明
私の履歴書
1948年6月1日 兵庫県養父郡関宮町和多田で5男として出生。
詳しい年代は覚えていないが
関宮町立幼稚園
関宮町立小学校
関宮町立中学校卒業後
1964年 兵庫県立八鹿高等学校入学
1967年 同上卒業
1967年 長崎大学薬学部製薬化学科入学
1969年 休学、本屋・キャバレー・土建・日産自動車等で働く
1972年 同大学卒業、薬剤師国家試験合格
1972年 キッセイ薬品工業株式会社入社
一貫して新薬の安全性に関する研究を行い、新薬8製品の上市を
信州大学医学部研究生、順天堂大学医学部研究生
1985年8月 初めての外国訪問、西ドイツ、イギリス、タイ
イギリスの世界解剖学会で発表
1988年9月 同上退社
1989年1月 信州大学より医学博士の学位を授与
1989年2月 財団法人食品薬品センター入所
1989年~1993年 JICA専門家としてフィリピン政府保健省で食品・医薬品・化粧品
の安全性試験のための動物試験の技術移転
フィリピン原産生薬および食品の安全性研究を通じた技術移転
1993年 株式会社イナリサーチ入社
1994年 INARPフィリピン法人代表
1996年 世界一周の旅へ、アメリカ、ヨーロッパ
1998年 同上退社
1999年~2002年 ODA(政府開発援助)の調査員
インドネシア(2回)、ガテマラ、中国、モーリタニア案件で訪問調査
2000年1月 有限会社エムケーラボラトリーズ設立
ノニジュースを日本紹介とODA調査員要件のため
2001年 東京ノニ研究所設立
2015年 3人の孫の爺に
2000~2020年 ノニジュース二国間共同研究、技術移転、伝承医薬品ジャムゥ発掘のた
め1年に3~5回インドネシア訪問
2005年8月 初めてインドネシアのパプア島を訪問し、異文化・文明とブアメラに遭遇
2017年9月 インドネシア革新商品ブアメラ発表第1回表彰のためオランダ訪問
2020年4月 4人目の孫に恵まれる
2022年4月 2年間インドネシア訪問ができず、松本で悶々と暮らしている
2035年7月(予定) 享年89歳、老衰で両親・兄姉の下へ
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