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66年前の本日、長崎に原子爆弾投下
1945年8月9日午前11時過ぎ、長崎市の浦上地区にアメリカにより原爆が投下され、言葉で言い尽くされない被害、悲劇が起きた。
原爆中心地には、キリスト教の教会があったが白色のキリスト教徒はアジアのキリスト教徒を異教徒をみなしたのか、無慈悲に殺戮。
原爆投下の22年後に初めてこの地を訪れた。
そして66年後の8月1日にも改めて、原爆投下中心地を歩いてみた。
力道山がモデルと云われる人年国宝北村正望氏の平和祈念像、永井博士の晩年の住居如己堂、徹夜マージャンで浦上天守堂のアンジェラスの鐘を聞きながらの帰宅。
最初に下宿した家野町の民家には、強烈な原爆の閃光跡が残っていた。
セシウム汚染については一切耳にしなかったが、同級生にはごく僅かの頭毛の者がいたし、町を歩くと同年齢の美しき女性が脱毛のため帽子をかぶっているのを目にすることが出来た。
恐らく、原爆被曝による母親を経由しての被害によるものと思われた。
本年3月11日の福島原発事故により、ほとんどの日本人は改めて原子力の脅威を再認識しているでしょう。
その意味では、未だ終息しない福島原発事故は私たちを改めて広島・長崎の原爆被害を思い出させてくれました。
高い代償ですが。
広島・長崎の原爆投下は、米国によるアジア人蔑視の意図的な殺人。
福島の事故は、米国製原発の設置・建設の甘さによる人災です。
長崎を訪れ学生時代に考えもしなかったことが、噴き出す汗のように湧きあがった。
郷愁と虚脱を感じながら。
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