熱帯薬用植物ノニによるお奨めのせっけん
美容には良質のせっけんを
洗顔・全身そして洗髪、髭剃りにも
せっけんの歴史
せっけんの発見
今では毎日の生活に欠かせないせっけん。昔の人はどのように作り、使っていたのでしょうか?
せっけんの始まりは紀元前3000年、今から5000年前にさかのぼります。偶然の発見が始まりです。
世界3大文明発祥の地メソポタミヤ地方(現在のイラク)にサポーの丘がありました。サポーの丘では、定期的に生け贄の羊を焼き神に供える習慣がありました。
偶然手に付いたサポーの丘の土を川の水で洗おうとしたところ、泡が出てきて嘘のように手の汚れが落ちた、という逸話があり、それ以来サポーの丘の土は「不思議な土」と言われ珍重されました。
せっけん、すなわちソープの語源はこのサプーからきているのです。
この「不思議な土」羊を焼いた時にしたたり落ちる脂と木灰が混じり、木灰のアルカリによって脂がケン化され自然とせっけんができたものです。
やがて、ローマ時代になって本格的にせっけんが製造されるようになりました。山羊の脂と木の灰を混ぜて作られたようです。
5000年前のサポーの丘の偶然からできたせっけん。まさに自然の恵みといえます。
ちなみに現在の一般的なせっけんですと、原料の約80%は以前と同様に牛脂が使われており、古代から少しも変わっていません。
せっけん製造業の興り
初めてせっけん製造業者が出現したのは8世紀。日本では平安時代の頃です。
地中海沿岸でオリーブ油と海藻灰ソーダからせっけんが作られ始めました。
その後、せっけん工業はゆっくりと拡大し、12世紀にはイギリスでも本格的なせっけん業者が出現しました。
15世紀になりポルトガルやスペインが東に向け航路を開拓してから、海上交易が盛んとなり瞬く間にせっけんは世界中に広がってゆくのです。
1543年、ポルトガル人が種子島に漂着した時に日本に初めてせっけんが伝わったということです。新し物好きで好奇心の旺盛な織田信長もせっけんを使用したと言い伝えられています。
しかし、当時のせっけんは大変高価で、相当の金持ちでも日常品としては使用できなかったほどでした。
1672年、ドイツのある紳士が奥方にせっけんを一杯に詰めた箱をプレゼントした処、奥方は始めてみるせっけんの使用方法を知らず説明書を見て初めて理解したとのこと。
当時のせっけんは、金と同じ価値があったようです。
この様に中世から近世にかけて、せっけんは一般的でなく、人気のあったのが香水でした。
汚れを落とし、体の匂いを洗い流すより、体の匂いは香水でごまかすのが主流だったのです。
これに比較すると、アジア人、特に東南アジアの人々は暑さの所為もあり水で体を洗うのが主流でより清潔だといえます。
いつ頃からノニ果実をせっけんの代用にしたのかは不明ですが、体の匂い消しのための多くの伝承医薬品が開発されたインドネシアでは、無尽蔵にあるノニ果実を日常的に使用していたでしょう。日本の兵士がインドネシアに進駐した時に、ノニ果実をせっけんの代用として使用したようです。
現在に至るまで
せっけんが一般家庭に広まるのは、産業革命以降になります。
1790年、フランスの化学者ニコラス・ルブランによって苛性ソーダ(NaOH, 水酸化ナトリウム)の製造法が開発され、工業的にアルカリが多量に生産されるようになり、せっけんが苛性ソーダを用いて作られるようになりました。
せっけんの大量生産が可能になれば、価格も手ごろになり瞬時に庶民にまで広がりました。
しかし、多くの人々が様々な品質のせっけんを使用すれば、肌のトラブルが起きます。
異なった要求も生まれてきます。
その都度、せっけんは各時代の化学者によって改良が重ねられてきたのです。
こうして、現在では顔や身体、食器や洗濯用と様々な目的別のせっけんが作られ、効果・香り・色・形も驚くほどの種類が出回るようになりました。
敗戦直後に生まれた世代にとって、せっけんは貴重品、高価であり無くなったら一つずつしか購入できませんでした。1箱3個入りのプレゼントを戴くと家族中大喜びしたことを記憶しています。
ほとんどが機械練りせっけんでした。どのような成分が含まれているのか気にしたこともなく、洗顔するたびに眼の粘膜が充血したものです。
安全で本物志向のせっけんが特にご婦人の間で愛されています。
様々な化粧品(合成化学物質)を使用しますので、肌荒れの原因となり、せっけんだけは高価でも良質なものをということには納得できます。
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